kohkoku note

クリエイティブディレクター視点からのあれこれ

フォント(書体)というのは実に奥が深い

広告の仕事をしていると避けて通れないのが書体の問題です。
既に完成されている基本書体の考え方はもちろん、どの場所にどの書体を使うかで大きく広告の印象や意味合いが変わってきます。

ある書体だけでは埋もれてしまうためにオリジナルフォントを作ることもしばしばあります。

そんなフォントですが2010年3月3日にグラフィックデザイナーである
原研哉さんツイッターのつぶやきをきっかけにフォントの議論が巻き起こりました。
とても有意義な議論でしたので共有できればと思います。

>>haraken_tokyo
コペンハーゲンののデザイナーから、なぜ日本のスクリーン上の文字はいまだに原始時代なの?と問われて返答に詰まった。ロスの友人からも、日本のデザインはきれいなのに、なぜネットの中はぐちゃぐちゃなの?と問われて答えられなかった。美に聡く、醜さに疎いといわれる所以か。なんとかしたい。

WEB上にある日本のフォントの現状を憂いた内容をつぶやきました。

>>haraken_tokyo
フォントのみならず、字間も、行間も、約物も、レイアウトも、文字の配置を制御する技術全体のことです。日本の文字が比較的きれいに見えるのがiphoneというのも皮肉。

WEB上のフォントは読みにくいだけではなく読んでいても疲れるのはそういった設計がなされてないものが放置されているのが原因かもですね。
同感です。

さらに原さんはこのようなつぶやきをしています。

>>haraken_tokyo
日本語は漢字/ひらがな/カタカナ/アルファベット/数字などが入り乱れるハイブリッドな文字。これを紙の上で美しく制御するには相応の工夫を要した。これをweb画面やtwitter画面、携帯画面上などできれいに制御するには基本的にどういう努力が必要なのだろうかという素朴な疑問。

この疑問に対して様々な意見が飛び交います。
OSの問題なのでは?や河野氏メイリオが一つの先駆的事例であるとか
様々な意見が出ました。

>>haraken_tokyo
なるほど勉強になります。グリッドシステムは紙の仕事でいつも使っていますが、少し研究してみます。1950年代のスイスのタイポグラフィは、自己表現というよりも、社会倫理的な意識から育ったある種の環境デザインだったと思います。

この後もhtmlやcssといったweb言語自体が日本語にマッチしていないのでは?など様々な有意義な議論が交わされておりとても興味深く読ませていただきました。全文のまとめはこちらです。

このように現状の技術や環境では不可能であったものが様々な意見や視点、考え方により
少しわかりやすくフレキシブルなものになって行くのはとてもよい事のように思いました。

なによりも原研哉さんのつぶやきをきっかけに

日本のWEBにおけるフォントの問題や意識が働いたことがとても良いと思いました。

よりよい技術はよりよい環境をつくると思います。
その環境でデザイナーはなにができのかという問題意識にもつながる
有意義な議論だと感じました。